イタリア、暗闇からの脱出
Posted on 2020.05.25 Mon 18:41:23 edit
ロックダウン寸前の時に、パニックのような出来事も起きました。それはスーパーの商品の買い占めでスーパーの棚が空っぽになったり、また、ロンバルディア地方から逃げ惑う人々が急増しました。一気に、バール、レストラン、お店が閉じて、あっという間にイタリアの町には人影が見られなくなり、道路にも車が無い状態になったのです。もちろん、学校も、図書館も、プールなど、スーパーとたばこ屋以外は全て閉じさせられたのでした。
武漢のコロナウイルス感染が、次にイタリアを直撃し、その後、各国に広がり、世界中がロックダウンの状態になったのです。
私はその時、これは全人類に対する戦争だと思いました。
そして、本当に戦争であれば、自分たちをどのようにして戦争から守れば良いかも考えました。
ウイルスは、おそらく、免疫が弱くなった人に襲いかかるのだと思い、いつも免疫を強く維持することが大切だと考えたのです。
免疫システムの良い状態を保つには、ストレスを無くし、ビタミンなどの栄養を十分に取ることだと思い、いつでもどんなことについてもポジティブ思考で物事を考え、幸い、敷地が広いことで畑仕事など外での仕事に汗をかきながら専念したり、毎日、野菜や果物を豊富に食べて、朝食前にはビタミンCを沢山含むオレンジや野菜の縛りたてジュースを飲むようにしました。そして、免疫を高めるためにビタミンDの栄養補給も毎朝欠かさずに取り入れました。
ロックダウンが始まったときから2ヶ月半が過ぎたとき、ようやく、イタリア人は自分の家から外に出れるようになり、バールやレストラン、お店などが厳しい衛生管理を義務づけられながらもオープンし、みんなが一生懸命、普通の生活を取り戻そうと努力しています。しかし、マスクとゴム手袋着用が義務づけられたイタリアは、普通の生活とはほど遠いものと感じます。
こんなマスクをした格好では、私は町の散歩を以前のように心から楽しむ事なんて出来そうにありません。
従って、自宅の自然が豊富な敷地内で、マスク無しで思う存分酸素を吸い込み、自由気ままに健康的な毎日を過ごすようにしています。
最終的には、このような悪質な戦争を仕掛けた側が勝利を掴むとは全く思いません。
世界中で、目覚める人々は日に日に多くなり、私たちはみんなで力を合わせれば、この世を救えると強く信じています。
これからは、再び、連載中の「私のパドバストーリー」を綴っていきたいと思います。

トスカーナ・マレンマにある自宅!

大自然のなかにある家!


ブドウも!

オリーブの木も!

サルビアの花の紫も!

畑もある、田舎の大自然に囲まれた家です!
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私のパドヴァ ストーリー part5
Posted on 2020.03.03 Tue 21:32:12 edit
空はいつもより青く、太陽がいつもより眩しく見えるのは、嵐が過ぎ去ったからです。
人はそのように見えるに違いない。
父の死、父の持っていた家とのショッキングな出会い、その家の改築、そして、その家を貸すことができた。ここまで来るのに、猛烈な嵐の連続のような出来事でしたが、でも、やり遂げたときは、台風一過のごとく、心の中が澄んだ空気でいっぱいになり、青空がどこまでも広がっている感じがしました。
ジェノヴァ郊外の借家で、終わったばかりのパドヴァの家のことを考え、よくもこんなに大変なことをやり遂げることができたものだと、自分のどこにこんなエネルギーがあったのかと新しい自分を発見したようで本当に驚きました。
恐らく人間は、人生の嵐の中で、一生懸命頑張らなければならないと自分で自分を追い詰めたときに、火事場の馬鹿力を発揮できるようになるのでしょう。
今は、私たち家族の新しい道にチャレンジしなければならないと言う意気込みが湧いてきました。
新しい自分を発見したことがきっかけとなり、勇気を振り絞れる自信と溢れる希望に満ちてきたのです。
ここジェノヴァ郊外には旦那の良い仕事もあるので落ち着いて住むのが当たり前のことです。
リグーリア地方の海沿いは、地中海性気候の温暖な住みやすい環境ですが、ジェノヴァの後ろにある山を越えればピエモンテの内陸に続き、そこに住んでいる私たちのところは、湿気の多い寒い場所です。
ジェノヴァに買い物に行くと、帰り道は、ミラノ方面に向かうA7の高速道路(Autostrada)を利用しますが、冬でもポカポカ陽気のジェノヴァから車を飛ばし山のトンネルを抜けると、川端康成の小説に出てくるような景色で、「そこは雪国だった!」となることが多くありました。
旦那が仕事場に通える距離ならどこでも構わないと思い、リグーリアでマイホーム探しを始めました。子育てができるちょっと広い敷地の家を買いたいと思ったのでした。でも、リグーリアは地図で見ても細長い狭い地域ですから、紹介してもらった家は全て敷地が狭く、隣近所の家が結構近いような物件ばかりで、大草原の小さな家を夢見た私たちのイメージとは程遠い家ばかりでした。
イタリアには「探しているものは見つかる(Chi cerca, trova.)」と言うことわざがあります。
ある日、私が愛読している月刊誌の中に書いてあった一つの広告に目が留まりました。
トスカーナのロッカルベーニャ(Roccalbegna)と言う聞いたこともない村で、自然環境抜群の新築後1年しか経っていない家を売り出している広告でした。
トスカーナでは今の仕事場である会社までは通うことができません。
でも、私は、このロッカルベーニャと言う村の名前が頭から離れなかったのです。何日たっても忘れることができませんでした。
不思議なことに、Roccalbegnaのスペルや発音に特別な響きを感じました。
結局、バカンスがてらにトスカーナにあるロッカルベーニャの家を家族みんなで見に行くことにしたのです。
このロッカルベーニャのことや家については、以前にブログで紹介していますのでご覧ください。
(そのブログ記事を表示)

《 続く 》
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私のパドヴァ ストーリー part4
Posted on 2020.02.20 Thu 01:32:10 edit
2004年から2005年にかけて、何度もジェノヴァからパドヴァに家族みんなで来て、実家のパドヴァ郊外に泊まりながら改築業者がドンドンと作業を進めるのを見守りながら、時には指示をして改築を進めました。
幸いに、子供は小さく、幼稚園に通っていただけなので、いつでも幼稚園は休めるし、旦那は有給休暇を使用して会社を休めば、定期的に改築に立ち会うことができたのです。
この時期は、改築現場を見てから、家族で小旅行を企画して、パドヴァ市内、ヴェネツィア、アジアゴ、ガルダ湖などに訪れ楽しんだりもしました。
私たちはジェノヴァとピエモンテの中間にあるジェノヴァ郊外の標高600mに住んでいました。
住んでいる場所は、地元の人が「アラスカ」と呼んでいた通り、冬はとても寒い場所でした。
そして2005年の冬は、記録的な寒波が訪れ、連続的に雪が降っていて、ガラヴェルナ(Galaverna)と呼ばれる樹氷が家の周りにできたのでした。


このピエモンテに近い場所で私はイタリアで初めてガラヴェルナを見ましたが、木の幹や枝や葉が全て氷で覆われ、道の上にも分厚い氷が続き、車も分厚い氷におおわれて、旦那は会社に行くことができませんでした。
この年は、ガラヴェルナから始まり、ブリアンと呼ばれる、遠く離れたシベリアから押し寄せてくる大寒波に見舞われて、冷たい風の吹雪が長く続いたのです。
私たちは、幸い、ブリアンが訪れる前に、平野で雪も少ないパドヴァ郊外の実家に来ていましたので、その大寒波からは逃れることが出来ましたが、後で、ジェノヴァの家に戻って近所の人から話を聞いたところ、そのブリアンは何日も続き、気温はマイナス17度にもなったそうです。
私たちが借りていたジェノヴァの家は、夏のバカンス用に作られていたので、壁は薄く、ストーブでいくら温めても家の中は寒く、靴下を履き、ウールの帽子をかぶって寝なければなりませんでした。
ブリアンが過ぎ去ってからパドヴァの実家からジェノヴァに戻った時、どのくらい寒かったのかが分かる出来事がありました。
それは、トイレに座ったとたん、トイレが真っ二つに割れたことです。
修理をしてくれた人の話では、トイレの中の水が凍って膨張して割れたのだろうと言うことです。
今思えば笑い話のようですが、家の中がこんなにも寒くなるなんて信じられないほどの出来事でした。
やがて、5月になり、家の改築が終わりました。
屋根も内装も見事に全て新しくなり、パオラの住んでいた家は人に貸すことができるようになったのです。
改築費用は5万5千ユーロ(=660万円)でした。
結構お高い改築費用を取り戻すためにも、イタリアの無料宣伝広告サイトのwww.subito.itに貸家として登録し掲載しました。
このサイトは、不動産(Immobili)、マーケット(Market)、ビジネス(Lavoro) 、バイクと車(Motori)の中古や新品等どんな物でも販売や宣伝広告することができて、イタリアでは最も閲覧数の高い人気の広告サイトです。
沢山の応募者が家を見に来てくれて、わずか1週間で、4人の家族に貸すことが決まりました。
そして、敷地に入る門も新しく自動扉を設置して、ベルタとも賃貸契約を更新しました。

これで私は頻繁にパドヴァの家を訪ねなくてもよいことになったのでしょう。
家を外から眺めました。およそ半年で、家は見事に改築され、ボロ家から新しい家になり、もし、父が生きていてこれを見たら、きっと満足するに違いないと思いました。












これからは、私たちの道に専念できると言うか、今まで重く感じていたパドヴァのボロ家は、ようやく「肩の荷が下りた!」と言う感じです。
そして、ふぅーっとため息をするかのように、安心した気持ちでジェノヴァの家に戻ることが出来ました。
《 私のパドヴァ ストーリー part5 に続く 》
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私のパドヴァ ストーリー part3
Posted on 2020.02.11 Tue 00:24:21 edit
不思議そうに私は「はっ、はい」と答えました。
すると、一人の男が名刺を出して私に渡しながら、
「私たちは建設会社です。」と言って、
「あなたの家を買いたいのです。」
「2軒合わせて8万ユーロで買います。」
「これら2軒の家を解体し、2階建ての4世帯が住めるアパートにしたいのです。」
「今すぐお返事されなくても結構ですので、お返事はこの電話番号にお願いいたします。」
と続けて話をした後、
「さようなら(Arrivederci)」と言って立ち去りました。
私は驚きのあまり、彼らに一言も言うことができませんでしたし、彼らがどちらの方向に帰ったのかも覚えおらず、私にとっては夢か現実の区別がつかないほど大きなショックでした。
でも、私は手に名刺を持って立っていましたので、これは夢ではなさそうです。
彼らは誰から家のことや私が家にいることを聞いたのでしょう!?
あの当時は、カメラも普及していなかったし、ソーシャルメディアのネットワークも無かったので、私がパドヴァの家にいることをどのようにして分かったのか不思議でなりませんでした。
何年か後に分かったのですが、大事な判断の時に、人間は試されることがあるということ。
肯定か否定のどちらを選択するかによって、大失敗になるか、順調に上手くいくかのどちらか一つになってしまうのですが、この世にはそのような大事な決定をする瞬間が誰にでもあると言うことです。
公園に行く前は、私の家をどうしたらよいのか分からなかったのでしたが、公園から戻ると、突然私の家の行方が、左か右のどちらかの道を選ぶ選択肢が出来上がっていたのです。
しばらくの間、私は名刺を持ったまま、目の前の私の家を眺めました。
建設業者に8万ユーロで売ることは、とっても簡単なことです。
遠く離れたジェノヴァに住みながら家を改築すれば何度も立ち会わなければならず、改築が終わるまでは期間もお金も沢山かかることになりそうです。ですから、売ってしまえば、その苦労が全くなくなるのです。
それに、パドヴァ郊外に生まれ育った私は、パドヴァ中心部の商店街くらいは何度か来ているのでわかりますが、家の周辺あたりは下調べもしたことがないし全くわからないままでした。
因みに、8万ユーロとは、1ユーロ120円のレートで換算すると960万円になります。
売れば、ベルタも家から出されることになるのですが、それは仕方ないこと。
さて、家の中にいるベルタのところに戻りました。
ベルタの家の中は何故か緊張感が漂っていました。ベルタの表情が何となく不安そうに見えたのです。
私にコーヒーとビスケットを出し、二人ともテーブルに座りました。
私は沈黙のまま、ベルタの顔を見ました。
ベルタはきっと、この娘はどんなひとだろう?お父さんのような優しい心を持っているのか、それとも、冷たい心の人なのか・・・などと考えているだろうと想像しました。
そして、私は何て自分がバカなんだろう(Ma quanto scema sono!)、
後で何回も後悔するだろう、
なんで私は一番難しい道を選ぶんだろうと思いながらベルタに言いました。
「よし、この家の屋根を直します。そして、新しい賃貸契約を更新しましょう。」
ベルタの緊張していた表情が緩み、ベルタは一息ついてから明るい表情で、
「Sì, sì, va bene.(はい、はい、わかりました。)」と言いました。
同じ私の判断を隣に住むパオラにも伝えましたが、パオラは、冷たく、
「いや、私はこの家を出ます!」と言いました。
後で、ベルタから聞いたのですが、パオラは実は自分の家を持っていて、その自分の家を人に貸して家賃をもらい、自分は家賃を払わずに私の家に住み続けたかったそうです。
私はパオラが自分から出ていくと言ってくれたことが嬉しく、そうしていただくことで、パオラが住んでいた家を改築することに決めることができたのです。
ジェノヴァに軽やかな気持ちで帰りました。
今回は良いことをしたのだろうと思い、善い行いは自然に心を和ませてくれました。
これからは、いろいろ厄介なことが沢山待っているのだろうけど、それをきっと乗り越えることができるに違いないと確信しました。
ジェノヴァに居ながら改築業者を探し、改築が始まりました。写真は、家の改築工事をしている様子です。



《 私のパドヴァ ストーリー part4 に続く 》
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私のパドヴァ ストーリー part2
Posted on 2020.02.04 Tue 21:24:56 edit
親の死はみんながいつか経験すること・・・
母が死んだとき、私はショックが大きすぎて、母の死を受け入れなかった。
何かに裏切られたと思って、悲しみと同時に怒りを持った。
この怒りが神にも母にも向けられて、私の強い情熱に変わった。
そして、自分にこのような疑問を持った。
「死とは何だ。」是非知りたかった。
死と言う未知の世界への挑戦が始まった。
私は死についても知る権利がある。
聖書にも書いてある。
「叩けば開かれる。」
よし、私もそのドアを叩こうと思った。
一生懸命、強く叫び、強く叩こうと思った。
情熱があれば何でも出来ると信じた。
未知の世界へのドアを強く叩いたら、母は夢に出てきて、私の全ての質問に優しく答えてくれた。
朝起きると、今までの苦しみが和らいでいることに気づいた。
でも、何日かが過ぎると、また、母の死を思い、悩み、落ち込んでしまったので、また、そのドアを強く叩くことで、苦しみや悲しみが和らいだ。
こんなことを暫く繰り返した。
やがて父も他界し、私はこの世で一人だけになった。
私は兄弟もなく、聞きたいことがあっても誰にも聞けない。
私は孤独に一人で歩き続けなければならない。
そう考えると、また、寂しくなり落ち込むようになった。
でも、前回、母が夢で沢山のことを教えてくれたことで、そのことが私の気持ちを支えてくれた。
いろいろな質問を死んだ人にすることは、イタリアでは、「死んだ人の魂に邪魔をする」と言う言い伝えがある。
なので、今回の父の死では、私はドアを叩かず、静かに心が回復するのを待った。
そして、父の死を受け入れることが出来ると、落ち込みから自然に立ち上がることが出来た。
父の死で、手続きなどいろいろなことに追われる日々が続き、その中で、父が残した書類や物の後片付けをしていると、父が持っていたパドヴァの家の書類関係を見つけた。
父の死を市役所にも届け出をし、税金関係も全て支払いを済ませた。
葬式の手続きも含めて、毎日が駆け足のように忙しかったが、その忙しさが悲しみの気持ちを和らげてくれたのでした。
---
さて、今、父が残してくれた家を訪ねて歩いているところです。
初めての訪問なので、家々の住所の番地を読みながら近づいているところです。
家の前にある道は袋小路の細い道です。
この通りの家は庭付き一戸建てがほとんどで交通量の少ない住宅地の雰囲気です。
パドヴァの街の中は交通量が多いので排気ガスも充満しているし、車の騒音で騒々しいのですが、この通りの驚くような静けさは信じられない感じです。
通りの奥の方に、ついに私の父の家の番地を見つけたっ!
「なんて、ボロ家!(Che baracca!)」
「こんなボロ家に誰が住んでんだ!(Ma chi abita qui?!)」



下の写真は、敷地内にある物置小屋。

家の構造は、二世帯住宅なので、まず、奥の家のドアをノックしてみました。
そうすると、一人のおばあちゃんが出てきました。
私は自己紹介すると、非常に驚いた表情を見せ、このように言いました。
「あなたのお父さんはどうしたの?」
私は「父は亡くなりました。」と答えると、彼女は悲しみの表情で、
「そう言えば、丸4年も訪ねて来なかったから、どうしたものかと思ってたんです。」と言った。
父は健康だったとき、定期的に、家賃を手渡しでもらうため、訪ねていたのです。
結局、この4年間は、家賃をもらいに行けなかったのです。
私は、家の中の状態を見せてもらいました。
2階の天井は、ひどい雨漏りがするほどの大きな穴が開いていました。
「どうして、このような穴が開いているのに、直したり、引っ越したりしなかったのですか?」と聞くと、
彼女は、
「私は結婚してから直ぐにこの家に住み、以来57年間も住み続けて自分の家のように思っているし、引っ越しなんて考えたことも無かった。そして、私はいつも訪ねて来られるあなたのお父さんに電話したことはなく、この4年間、ただ待ち続けていたのです。」と答え、そして、続けて、「うちの旦那が生きていれば修理することも出来たのですが、私一人では・・・」と言いました。
このおばあちゃんの名前はベルタ。
ベルタは、自分の一人娘がボローニャに住んでいるけど、娘のところには邪魔をしたくないのでなるべく訪ねもしないし、私はこの家にいるのが好きなんですと説明してくれた。
ベルタの後、家の手前のドアをノックして2軒目を訪ねた。
出てきた人は、未亡人のパオラと言う女性でお兄さんと二人で暮らしているとのことでした。
ベルタと違って、私の訪問が邪魔だったのか、冷たさを感じた。
それでも、家の状態を見せてもらうと、となりのベルタの家は天井に穴が開いててひどい状態だったが、それを上回る酷い状態だった。
雨漏りはもちろん、二階へ上がる階段は木造りで、一つ一つの階段の奥行きが10センチほどしかなく、かつ、一段一段が水平ではなく、滑り落ちそうなほど傾斜が付いていたので、私は危なくて2階へは上れませんでした。
家の中の雰囲気は、中世時代かと勘違いするような何もかも古いものでした。
私は当時、ジェノヴァに住んでいたので、明日はジェノヴァの自宅に戻る必要があり、今すぐに、何かの判断をして、彼女たちに伝えなければなりません。
ベルタに「旦那と一緒に、近くの公園に子供たちを連れて遊ばせてきます。」と言い、ちょっとの時間だけ家を離れた。
公園は、驚くほど広大で、公園の敷地には大きな体育館も有り、サッカー場も2つ有り、テニスコートも遊園地も有り、芝生地帯は広く、とっても優雅な考えられた贅沢な公園でした。
あらっ、このような公園なら私も住みたいと思いつつ、子供たちが楽しくブランコや滑り台等で遊んでいる姿を見ながらベルタたちに何を言ったら良いのかと、あれこれ考えていたのでしたが、結局、何も考えが浮かびませんでした。
家に戻ったら、家の前に2人の男が立っていました。
彼らは私を見て、いきなり「フィオレンツァ マルケーズィさんですか?」と聞いた。
《 私のパドヴァ ストーリーpart3に続く 》
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私のパドヴァ ストーリー
Posted on 2020.01.23 Thu 14:05:29 edit
今まで長くお休みしたのは忙しかったことと気持ちの持ち方や考え方を整理したりとゆっくりと自分を充電したかったからなのです。
やはり、人生、走り続けたのでは、自分がどこを走っているのかさえも分らなくなったりするので、本来の正しい道からそれないようにするために、走ることを一時やめて、自分の心を見つめて、心が思うこともいつか見えてくるように、さまようことの無いように軌道修正することが大切なのです。
幸いに、ここマレンマではいくらでも自分を世の中から遠ざけたいときにそれが出来る最高の場所でもあります。
ただ、自然と触れ合うだけで、どんな心配や悩みをも癒やされるのです。
忙しかった理由は、長女が巣立ちしパドヴァに引っ越したのでその準備に追われたからです。
そして、パドヴァについて、これから長いお話をこのブログに綴ってみたいと思います。
お話は私が実際に体験した実話に基づいて綴っていきます。
役に立つ情報や楽しいことも書きますが、深く考えさせられることも有るかと思いますので、ブログの内容を共有して、私の言いたいことを感じ取って貰えればと思います。
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私のパドヴァ ストーリー part1
今から57年前の1963年の話。私の父は、自分のお父さんが残した遺産のお金を使って、パドヴァに最も近い郊外に家を買いました。その頃のイタリアは、第2次世界大戦が終わって、世の中が起き上がろうとしているような、急成長の始まりが見えていた時期です。イタリアでも、お金が回り始め、新しい考えや企業が誕生し、街の中は活気に満ちあふれていました。
当時、私の家族はパドヴァの市内ではなく、市内から30kmほど離れた小さな街に住んでいました。
賃貸の家に住んでいたことで、私の母は自分たちの住む小さな街に家を買ってほしかったのでした。
父はこの小さな街ではいつまで経っても成長が見込めないし、こんな小さな街に家を買っても将来何の希望も持てない。と強い気持ちを持っていました。
母は、大きな街には住みたくないし、生まれたこの小さな街からは死んでも離れないと、父の考えに真っ向から反対する強い意志を持っていました。
結局、父は、母の反対を押し切るように、パドヴァ市内に最も近い郊外にある2世帯が住める庭付きの住宅を購入し、その家を住みたい人に貸したのでした。
父が購入した家の価格は、3,000,000リラでした。写真はその当時の契約書の一部です。


写真の当時の契約書には、家の価格は、1,100,000リラと書かれていますが、イタリアの場合、昔も現在でも、契約書の価格が実際に売り買いする価格と違っていても法律的に認められているので問題にはならないのです。では、何故、契約書には、実際に売り買いする価格よりも安い金額を記入するかと言うと、ずばり、税金対策なのです。だから、売り買いする本人同士と弁護士のみんなが実際に売り買いする金額は3,000,000リラと決まっていながらも契約書にはその約三分の一の金額を記入することが日常茶飯事のごとく慣例化されているのです。
300万リラと聞くと、ゼロが沢山並んでいるので高額な感じがします。当時の物価を考えると、もちろん大衆の人々はなかなか簡単には買えない金額です。
レート換算しますと、1ユーロは1,936.27リラなので、ユーロでは1,549ユーロとなり、今の円レート122円/ユーロでは、庭付き2世帯住宅の価格が、なんと、18万円台で買えたのでした。
庭付き2世帯住宅が今この価格なら誰もが買いたい価格ですよね。
昔から今に至るまでイタリア人は、銀行にお金を預けるよりも、「Investire sul mattone」を第一に考える民族なのです。
Investireは投資するの意味で、mattoneはレンガのことです。昔からイタリアの家はレンガで出来ていたので、レンガは家を意味しているのです。
そう、Investire sul mattoneは「レンガ(家)に投資する」と言う意味です。
お金や商品や株式などは価値の上がり下がりがありますが、レンガで造られた家は、木造住宅と違い、下がることはなく、上がる一方なのです。
それで、イタリア人は銀行に貯金するよりも、家を買った方が得であると考えていたのです。
私の父は昔風の男で、男のビジネスの話を、妻か娘であっても女には絶対言わない人でした。それで、長年の間、私の母も私も、そのパドヴァの家がどこにあるのかも分らないでいたのでした。
時々の両親の喧嘩は、このような父の考え方の違いが原因となって起きていたのでした。
父は死ぬまでその考え方を崩さず、人生が終わりをつげるような年老いたときにさえも、私が父にパドヴァの家のことを訪ねると「おまえには関係ない。」と短い言葉を返すだけでした。長い間、私は父の心を読めなかった。昔のイタリア人の男は、感情を表すことは弱い女のすることと思っていました。
私も大人になって、お父さんの言葉を半分聴いただけで、最初は感情の無い言葉と思っていましたが、その言葉の裏に隠されている感情や意味をも理解することが出来るようになったのです。父の眼差し等からも、言葉では省略されたことまでもが見えるようになったのです。
今になって、私の父に心から感謝しています。
《 私のパドヴァ ストーリー part2 に続く 》
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イタリア語会話コース
Posted on 2019.10.29 Tue 01:30:31 edit
従来のイタリア語会話レッスンでは、入門者から上級者までの生徒さんを対象に、皆さんがイタリア語で会話できるように生徒さんのレベルに合わせて、基礎や文法や会話や文化や検定試験対策などのあらゆる必要な知識をレッスンでお教えしています。
時には宿題も自習も有りで、とにかく、最短最速で効率よくイタリア語が上達するようにレッスンしているのです。





今回、新設した「イタリア語会話コース」は、現在、中級レベル以上を学ばれている生徒さんや一通り文法を学ばれた方を対象に、「会話」だけに集中してレッスンします。
会話は知識を吸収しただけでは話せるようにならないものであり、且つ、実際に相手と話をすることで成り立つもの。
ただ自己流的に話すだけでなく、相手が理解できるように話すことが大切なので、相手に伝えるためのコツや相手が理解しやすい表現を用いて話す術をお教えしているのです。
生徒さんの間違った表現はすぐに指摘して正しい表現をお教えすることで、生徒さんは幅の広い様々な表現を用いて自信をもって楽しくイタリア語を話せるようになるのです。
文法の知識不足で間違った場合は、ご希望に応じ、次回の文法のレッスンでその間違えた文法をお教えしますので、生徒さんは確実に(ご自身も周りの人も)驚くほどイタリア語会話が上達していきます。
間違いを次回レッスンにフィードバックしながら正しい会話を覚えるレッスンを継続すれば、だれでもイタリア語を完璧に正しく話せるようになるのです。
ですから、独学者とイタリア語会話コースでレッスンされた生徒さんとの会話レベルの差はものすごく大きく違ってきます。
実際、どんなレッスンも経費が高くて、とお悩みの独学者が沢山いらっしゃることも理解し、レッスン料をできるだけ低コストに抑えましたので、やる気をだして頑張る生徒さんには是非レッスンをお受けいただきたいです。
言葉を話せるということは財産の一つです。生徒さんの文化・教養は、磨けば磨くほど光り輝くことになるでしょう。
貴方のイタリア語会話が上達しますように・・・
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幸せはジャガイモ
Posted on 2019.07.23 Tue 18:28:01 edit
毎日、良い天気が続き、空も青空の快晴で悪くなる気配が無い。木の蕾も少しづつ膨らみ、今にも開花しそうになっていた。
2月がこのまま過ぎて3月が始まった。
3月はドカ雪や雨の日になるのもよくあることで、冬への逆戻りも珍しくない月だ。
「よし、3月の雨に期待しよう!」と空を見ると、空は眩しくなるくらい真っ青で、雨の降る気配が全くない。
イタリアでは、この時期、干ばつのニュースが流され、ポー川の水位も記録的に下がってきているとのこと。
農作物の水不足による被害が予想されると報道された。
私たちは毎年この時期にジャガイモやサラダを植えている。
でも畑を見ると、土がカチンカチンとセメントのように硬くなっていた。
とっても、耕す気になれなかった。
例年だと3月頃は草も高くなっているのだが、今年は草がほとんど伸びていなかった。
畑は真夏の日照りの様だった。
さて、今年のジャガイモ、どうしようかと考えた。
以前、カリフォルニアやオーストラリアの干ばつになった地域での野菜の栽培方法を動画で見たことを思い出しました。
その映像のタイトルは「ポテトタワー(Potato tower)」となっていて、なんと、ジャガイモの種を土と藁で何層も重ねるように上に積み上げる方法で栽培していたのだ。この方法だと、省スペースにもなるし、少しの水をかければ藁の壁で湿気が保たれるとのことだった。
「よしっ、これだ!」と手をたたき、早速、スチールフェンスで直径1メートルの種ジャガイモを植えるタワーを作ってみた。そして、藁と土と有機栽培肥料と種イモを用意した。
それから、このジャガイモタワーの置く場所を日当たりのよい所に決めて、スチールフェンスが筒状になるように切って繋ぎ、土の上に厚さ約5cmの藁を敷きフェンス内側にも約10cm位の高さで藁の壁を作った。この藁の中に包まれるように厚さ約5cmの土と肥料を置き、その土の中に外周近くに円状に8個か9個くらいの種ジャガイモを埋めて1層目が完成。この繰り返しで、2層目も3層目も作っていき、私は、結局、合計7層を作ってみた。作っている最中に気になっていたことは、何層も作れば、一番下のジャガイモは出てこないのではと言う心配でした。でも、各層のジャガイモは発芽すると横に伸びて藁の壁を突き抜けて外に出てから上方向に成長するので、何層作っても大丈夫なことが後でわかりました。
私は、始めのジャガイモタワーを3月14日に作り、2つ目、3つ目は、それぞれ1週間の時間差を付けて合計3つ作りました。
雨は全く降らなかったので、3、4日に1回、ジョウロで水をあげました。
4月末まで僅かな小雨が1回あっただけの干ばつ状態は、予想通りの展開でしたが、今年は、4月の末に雨が降り、その後、毎日のように5月末まで晴れずに雨と曇りの日が続き、時には、大荒れの大雨や雹が降ったのでした。ニュースでは、イタリア全国が大雨や雹の被害が相次ぐほどの悪天候で山ではこの時期珍しい雪も積もったほどでした。最高気温が6度と寒さが厳しかった時もあり、私はスカイプで生徒さんとイタリア語会話のレッスンをする際、私は分厚いセーターで、生徒さんは夏らしい軽装で、生徒さんに聞いてみると、日本は25度にもなる暑い日が続いていたとのことでした。
イタリアが寒い日々が続いていても、私のジャガイモタワーの茎はとっても太く、緑鮮やかに元気にすくすくと育っていました。

家の前のちょっと空いてるスペースにジャガイモタワーを置きました。

ジャガイモタワーを3つ並べて置きました。

こんな感じで、タワーの横からもジャガイモの茎が出ています。

茎は太くて元気!

種イモを植えてから3か月以上が過ぎて収穫時期が来ました。

7月19日に家族がみんなジャガイモタワーの前に集まり、ようやく、ジャガイモタワーの中の芋ほりをしました。3か月以上経過して、茎や葉は茶色に枯れて、収穫時期のサイン。家族はみんな、ジャガイモタワーの中でジャガイモがどのように育ったのかと、それを見たくて、ワクワクドキドキ。まるで、宝箱のふたを開けて中身の金銀宝石を見たい気持ちと同じようでした。
それで、藁の中に皆の手が入り、中のジャガイモを掘り出し始め、大きなジャガイモが出てくるたびにみんなで大喜びの拍手喝采でした。

土の中から簡単にジャガイモが掘り出せるっ!

んっ、お手伝いさんも来ました。

お手伝いさんはとっても芋掘りがお上手です。
将来、ジャガイモ生産者になっても、わざわざ芋掘りロボットを開発しなくてもよさそうっ!

1つのジャガイモタワーから、今日はこんなに収穫できました。早速、計ってみたらなんと8.5kgも!

ジャガイモタワー大成功!夜は採りたてのジャガイモを皮をむかずに炒めて食べましたが、とっても美味しかったです!
このジャガイモタワーに小さな種イモを50個くらい植えただけで、この一つのジャガイモタワーの収穫量は合計8.5キロも採れました。
初めての試みでしたが大成功と言っていいでしょう。畑を耕すことも無く、且つ、栽培面積もわずかで済み、水の量も少なく出来たので、本当に画期的な栽培方法です。
子供でも作れるジャガイモタワー!
格別に美味しいジャガイモを作って食べれば、心の奥深くから幸せな気持ちがジ~ンと溢れだし、何とも言えない満足感でいっぱいでした。
本当の幸せは小さなことから得られることを再確認できました。
これからは、このジャガイモタワーの大成功を他の野菜に応用し、1層だけで、例えば、大根やかぶ等も作ってみたいと思いました。
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