美しきトスカーナから!イタリア語も!美味しさも!楽しさも!

イタリア・トスカーナから美しきトスカーナ情報やイタリア語会話レッスン、イタリア料理レシピ等、イタリアに関する様々な報情をお届けします。

05 «1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.» 07

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告  :  trackback --  :  comment --   

ピティリアーノのユダヤ人地区博物館 

中世時代の雰囲気が漂う「トゥフォ(凝灰石)の街」として知られているピティリアーノのユダヤ人地区博物館に入館して見てきました。当時のユダヤ人の生き方や儀式、苦悩などを詳しく理解でき、特に、第二次世界大戦の終わる直前に、ピティリアーノに生まれたユダヤ人達がドイツのアウシュビッツに連れ出され、虐殺された事実が、実際に証拠品を見ることで心に痛さが残る感じを受けました。
ピティリアーノ1

ピティリアーノのユダヤ人地区の歴史を遡ると、1400年代の末期頃、ピティリアーノはユダヤ人の重要な中央イタリアの隠れ家となった。そして、ピティリアーノに住み着いたユダヤ人は1598年に教会を設立した。1600年の初期にメディチ家はトスカーナの大公国を広げる為に、南トスカーナの伯爵領を加えたが、そこに住んでいたユダヤ人はユダヤ人地区に追いやられた。しかし、ユダヤ人による経済と貿易上の役割が大きかったので、ユダヤ人の重要性が認められ、特別に様々な待遇や許可を受けるようになった。
このような状態が数世紀続き、ユダヤ人とピティリアーノ住民の間にはお互いに慣用的な関係が築かれた。
そして、ピティリアーノのユダヤ人地区は「小さなエルサレム(La Piccola Gerusalemme di Pitigliano)」と呼ばれるようになった。
ピティリアーノ2

1900年代の経済・社会状況の変化に応じ、ピティリアーノのユダヤ人はイタリア各地に移り住むようになったが、第2次大戦中にユダヤ人に対して人種差物の法律が出来るなどユダヤ人は迫害を受け、ピティリアーノのユダヤ人地区は幕を閉じることになった。
このように、ピティリアーノの歴史にはユダヤ人地区が大きく関係しているので、1997年に「小さなエルサレム」と呼ばれる協会が設立され2002年にこのユダヤ人地区博物館ができた。
ピティリアーノ3祭式用の女性風呂
出産や月経の時に使用されていたそうです。
ピティリアーノ4

ピティリアーノ5イースト無しのパンを焼くフォルノ
ユダヤ人は宗教上、イースト無しのパンを食べるのですが、そのパンや復活祭のお菓子を作っていたフォルノ(釜)の部屋で作業中の写真です。
ピティリアーノ6

ピティリアーノ7

ピティリアーノ8

ピティリアーノのユダヤ人が第2次大戦中にドイツのアウシュビッツに連れて行かれて虐殺された人達のリスト。
ピティリアーノ9

アウシュビッツの収容所
収容所に直接、線路が結び付けられ、ユダヤ人からは「死の門」と呼ばれた。
ピティリアーノ10
博物館の中の一部のみを紹介してみましたが、他にも沢山展示されています。

ユダヤ人地区内のお店では、ユダヤ人伝統のパンやお菓子などが販売されています。
入場料は大人が3ユーロ、12才までが2ユーロ。入館時間は10時から12時まで、午後が15時から18時まで(土曜日のみ休館)

">クリックして応援してください!
にほんブログ村 旅行ブログ イタリア旅行へ
にほんブログ村ポチっと応援お願いしますm(_ _)m
スポンサーサイト

テーマ: トスカーナ便り

ジャンル: 海外情報

コメント

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://italianojuku.blog135.fc2.com/tb.php/12-6fda7c59
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。