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白い戦争(Guerra Bianca) その2 

(前編のメモ: 僕たちの木で作った砦から少しでも登れば、頂上付近の敵からは丸見えとなり、直ぐに攻撃されるので、一歩も進めず立ち往生を余儀なくされていた。これ以上、敵地に攻め込んでいくルートは全く無い。とにかく、大砲の砲弾が敵の砦に届く地点までは数十メートルも有り、これ以上一歩も近づけない八方塞がりの状態であった。戦略を考えたが、いくら戦略を考えても、時間だけが過ぎていく。早く、何とかしないと・・・、寒さや病気で死んでいく仲間を見ながら、待てば待つほど体力的にも精神的にも追い込まれていく。・・・中尉は黙って、油ランプを見ている。・・・沈黙が続いた・・・)


「トンネル!」。
中尉の言葉を聞いた皆が振り向いた。
「敵の砦の近くまで、氷にトンネルを掘るんだ!」
中尉は話を続けた。
「掘った氷を外に出しても、山の起伏の下から掘り始めれば敵からは気づかれない!」
皆は中尉を見ながら息を呑んで・・(硬い氷なんかを掘れんのかー!)と思ったが、何もしないより、まず、やってみようと。

そして、夜が明けるとすぐに硬い氷を掘ってみたが、既に体力も消耗しているし、ツルハシやスコップを振りかざして何回か力強く叩きつけてみたが氷がほんの少し削れただけだ。(やはり、無理か・・・)皆の顔が諦めの表情になった。

中尉は、その様子を見て、暫く考えてから言った。
「2人1組、30分交代で掘り続けるんだ!」
言われた通りに掘り始めると、人数は大勢いるので疲れることはないし、逆に動くことで体が温まり、筋肉もほぐれ、その結果、30分で何とか数十センチほどだが掘れることがわかった。交代しながらとにかく掘り続けた。夜も掘り続けた。30分で30センチほどしか掘れなくても、皆で交代しながら掘り続けたことで翌日には何と数メートルくらい掘れただろうか。座った状態でツルハシを腕力だけで掘り続けるのだ。皆一様に、何とかなるかもと希望を持つようになった。腰くらいまでの高さの穴は、ゆっくりとだが確実に掘り進んでいった。外が吹雪でも、トンネルの中は暖かいし、力一杯の作業は体の芯まで温まる。

2週間くらい経ったのだろうか。何とか敵の砦に砲弾が届く射程距離まで近づけた。トンネルの奥は大砲が横3列に並ぶくらいに幅広く掘った。そして、トンネルの中から氷とその上に積もった雪に穴をあけ大砲を設置した。

☆☆☆

谷は静けさに包まれていた。中尉と僕と何人かで、オーストリア軍の砦を見に行くことにした。
残った仲間は、中尉と僕たちを後ろから援護射撃が出来るように構えた。
敵の砦に向かって歩き始めた。
敵の罠が待っているかもしれない。生きて帰れる保証が無いと思いながら、氷の壁を登り始めた。一歩一歩登り始めた。かなり長い時間登った。

少しづつ砦に近づいたが、何の音もしないし、砦からは、まだ煙が上がっていた。
更に近づくと、氷の塊や瓦礫がかなり酷く散らばっているのが見えた。
そして砦の中では、砲爆で沢山の兵隊が倒れており、想像していた以上に打撃を与えていた。

僕たちは生きている人がいないかどうか見渡すと、何人かが倒れてうめき声をあげながら、かすかに動いていたので、とっさ的に助けなければと膝をついて怪我の状態を見始めた。
もう既に勝敗がはっきりしたことで、敵も味方もない。

僕たちが勝ったと意識した時に肩の力が抜けたように、負傷した彼らも、力が抜けていたのだ。そして、これ以上戦わなくてすむのなら負けて良かったと感じたのに違いない。倒れて酷い怪我をしながらも、勝ち負けはどうでもいい、早く戦争が終わってほしい一心で、心からイタリアが勝ったことを喜んでいるようだった。

戦争に負けたことを悟り、要塞から後方へ逃げ隠れしていた人も、両手を挙げながら降参の意思を示しながら戻って来る敵兵もいた。

今、戦争が終わって、敵も味方もない。中尉は、怪我をしている人々へ応急手当をすることを伝えると、直ぐにお互いがこの厳しい環境の中で戦い続けたことを哀れみ、そして中尉も、かつての敵たちも、皆と抱き合って讃えあった。
死と隣り合わせだった激戦地「氷山モンテ・ヴィオツ」に平和が戻った瞬間だった。
僕は涙でよく見えないながらも中尉の目にも涙が潤っているのを見た。

最後は、かつての敵同士が肩を組んで笑顔で写真撮影までした。

<完>

いかがでしたか?
3000mから下山した後、ペイヨ村に入り、ペイヨ村の人々は、皆、畑仕事を終えて帰る支度をしていた。夜7時頃。突然、建物から光が見えたので、よく見たら、戦争博物館でした。
車を置いた駐車場まで3キロくらい離れており、ちょっと遅い時間なので、見学するかどうか迷ったのですが、結局、見て良かったです。

第1次世界大戦(1915年~1918年)の戦場となったこの山で見つかった武器や兵隊の衣類等などが展示されていた。

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トンネルを掘らせ、オーストリア軍の砦を粉砕させた中尉。
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オーストリア軍の大佐。大佐は、中尉が敵にもかかわらず、負傷した兵士たちを介護するように命じたことを知り、中尉がオーストリア帝国から送られた兵隊による2度目の攻撃で重傷を負った際に、大佐は中尉を助けようとして、共に凄まじい攻撃を受け戦死した。
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手術用具、備品。弾丸を摘出する道具も・・
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この戦争が「白い戦争」と呼ばれるようになった訳は、世界に例のない標高3000mを超える高山が戦場となったことで、しかも、昔は、今と違って、豪雪だったので、夏も深い雪に包まれて、常に白い雪の上が戦場の舞台となったからです。

博物館の中では、ビデオも上映されており、断片的なドキュメンタリとして紹介されていました。
私は、展示品やドキュメンタリの部分を繋ぎ合せて、物語を作ってみました。中尉も実在しているし、氷のトンネルを掘らせたのも実話です。

最後に、物語では言わなかったことについて言いますが、
中尉はトンネルを掘らせて敵の砦を粉砕し、見事に勝利宣言をしましたが、実際には、オーストリア軍がモンテ・ヴィオツでの敗戦を、自国のオーストリア帝国に報告したところ、敗戦を認めず、オーストリア帝国からより多くの兵隊を出動させ、直ぐに、モンテ・ヴィオツに攻め込んだのでした。そして、中尉とその仲間の兵隊たちは凄まじい攻撃を浴びせられ、一人残らず戦死して、体も見つからず、今も、モンテ・ヴィオツの山脈のどこか氷山の中に眠っているとのことでした。

博物館を出た私たちは、トレッキングを楽しんだ山を眺めた。眺めてる瞬間、こんなことを考えた。
(今、私たちは、お国の為に命を犠牲にできるのか?・・・)
100年が過ぎようとしているが、昔の人々の理性、義理、人情、忠誠心、愛国心など、いづれも、現代の人々とは違った心の一面について、どこでどのように変わったのだろうかと疑問を持った。



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