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美しきトスカーナから!イタリア語も!美味しさも!楽しさも!

イタリア・トスカーナから美しきトスカーナ情報やイタリア語会話レッスン、イタリア料理レシピ等、イタリアに関する様々な報情をお届けします。

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ダビデ その3 

当時のアミアータ地域の大衆は、人権も与えられておらず、また、国の支配者からの命令で徴税人からの税の取り立てなどを介して、押さえつけられていたので、毎日の苦しい労働を続けながらも、ますます貧困化が進んでいきました。

この生活苦を見たダビデ・ラッザレッティは、キリストのように人々を哀れみ、人々を救うことが自分の使命であることを信じて、福音書に基づき、大衆を集めて説教し始めました。

その説教での教えが人々の心をとらえ、人から人へと伝えられ、ダビデの名声は、瞬く間に広まり、ローマ法王にも伝えられ、更には、フランスやイギリスにも響き渡ったのでした。

当時のフランスは、長年、王様やその貴族たちで構成された帝王君臨の制度が続いていましたが、それが破たんし、共和国の方向へ移行する革命の真っ最中でした。

ダビデの説教の中で、再び、従来の帝王支配の良さをも見直さなければならないと解釈できるような文言を述べたことで、不安を募らせていた貴族たちの間では、王国復権の兆しと理解してダビデを強く支持したのでした。

それで、5人の子供たちを持つダビデの家族はフランスに渡ると、貴族たちの間で大歓迎を受け手厚くもてなされたのでした。

アルチドッソに戻ったダビデは、信者が増え続けていたことで、信者の祈りの場所をモンテ・ラブロの頂上に造りました。

ダビデがあまりにも有名になったことで、アッシジのサン・フランチェスコのような現象が起きたのです。
それは、街の教会のミサには昔から大衆が入りきれないほど集まっていたのでしたが、大衆がダビデの宗派でのミサに集まるようになったことで、街の教会に集まる人は以前より少なくなっていました。そして、時が経つごとに、信者たちは、街の教会からモンテ・ラブロへ移っていく流れが加速しました。

ダビデは、人々を心から愛し、人々の苦しみを理解して、皆の持っている物や食べ物をみんなで分け合うことを教え、更に、男女平等の教えも取り入れるなど、理想の社会システムを構築したのでした。

それで、貧乏人も食べ物に困らなくなり、人々はダビデの宗派に夢中になり、ますます、信者が増え続けたのでした。

当初は、ローマのバチカン教会も、ダビデの宗派の活動を認めていたのでしたが、ダビデの理想の社会システムは、バチカン教会やフランスなど、当時、繁栄していたカトリック全体が思想とする、大衆に自由を与えずに徴税を課す方向とは全く逆の流れの思想であり、ともすると、ダビデの教えがバチカン教会の信者たちをも奪い取る気配を懸念し始めたのです。
いわゆる、ダビデは革命を起こしかねない存在との見方をするようになったのでした。

それで、恐らく、ローマ法王からの命令を受けたと思われるアルチドッソの街の教会の祭司や警察は、ダビデの活動をやめさせるためにダビデに圧力をかけ始めたのです。

ある日、突然、ダビデは信者たちに、自分の死ぬ日時を伝えました。

そして、ダビデの反対派に、自分たちは武器を持って革命を起こすのではなく、平和を求めているだけであることを示すために、ある日、ダビデを先頭に、大勢の信者たちとモンテ・ラブロの頂上からアルチドッソまで歩いて行進したのです。

アルチドッソの街に入ると、武装した警察官が待ち構えていました。その警察官の中に、アルチドッソの警察官ではない、しかも、誰も知らない無い者が紛れ込んでいて、その銃を持っていた者が、ダビデに向かって発砲し、ダビデの額に命中し、ダビデはこの世を去ったのでした。

2週間後、ダビデを銃殺した者が誰かに殺されているのが見つかりました。調べてみると、ペレグリーニと言う人物であることが歴史書に記されていました。

「神の2番目の子」の著者シモーネ・クリスティッキは、その著書の中で次のように描いています。
このペレグリーニを主人公にして、ペレグリーニは誰かの指示でダビデ殺害を実行したと仮定し、ダビデを殺した後、ペレグリーニは、自分の名前を隠し、架空の人物を装って、モンテ・ラブロやアルチドッソに再び訪れ、ダビデの信者たちの様子をうかがったのでした。ペレグリーニは、大勢の人々が希望を失い、止むことのない悲しみを受けていることを知ると、とてつもなく偉大な人物を殺してしまったと後悔し、ペレグリーニのその苦悩の2週間を描くことで、ダビデがどのような人物であったかを見事に表現したのでした。

その著書の最後にシモーネ・クリスティッキは次のように書いて終わっています。
ダビデの存在は、いまだに、灰の下で火種がくすぶっている。そして、いつか、大きな炎となって蘇るだろう。

シモーネ・クリスティッキは、「神の2番目の子」を書き上げた後、毎年8月に、モンテ・ラブロの山頂で、シモーネ・クリスティッキ自身がダビデに成りすまして、集まった数千人の人々の心に残るような感動的な舞台を演じ続けるようになりました。

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ちょうど、私たちの家からも、真夜中のモンテ・ラブロの山頂が照明で明るく浮かび上がるのが見え、まるで、山が動いているかのような賑やかさを眺めることができます。ダビデの魂が再び息吹いているかのようです。

私はアルチドッソのお店などによく行きます。子供たちの高校もアルチドッソを通って行きます。
アルチドッソに行く途中、左手にモンテ・ラブロの山が見えるのです。

アルチドッソの街
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アルチドッソのお城
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ダビデのお墓に登る石段
arcidosso3

モンテ・ラブロの山
arcidosso4

以前は、気にならなかったモンテ・ラブロでしたが、ダビデのことを知ってからは、モンテ・ラブロがとても気になり始めたのです。
アルチドッソの街に入る手前にダビデのお墓に登る長い石段があるのですが、お墓の石段やモンテ・ラブロを見るごとに、ダビデが人々に注ぎ続けている愛のようなものを感じ、どこかダビデから守られているような感じがして、安らかな気持ちになるのです。

ダビデの写真
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ダビデは殺される前に、このような言葉を残していました。

あの日、モンテ・ラブロの麓に住んでいる者は救われる」と。

( 完 )

*****

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